ルーズベルト政権が日本に敵対する政策を最初に打ち出したのは、1936年。真珠湾攻撃の5年前です。
1931年に満州事変が勃発しました。満州は万里の長城の外にあり、満族の地であったため、中国の一部ではありませんでした。しかし、ルーズベルトは、日本が中国を侵略したとみなしました。
1937年に中国共産党の挑発による盧溝橋事件をきっかけに日華事変が起こります。しかし、日中が宣戦布告を発したのが1941年12月ですから、1937年時点では、戦争ではなく、事変でした。
アメリカは中国を巨大な市場とみていましたが、第一次世界大戦による国民の厭戦感からなる孤立主義により、参戦できませんでした。そのため、アメリカは中国を支援するために、アメリカの軍人を義勇兵と偽り中国に送り込み、日本を空爆することを計画していました。
ルーズベルト大統領が日本を戦争におびき寄せた本当の理由は、ヨーロッパ大陸を制圧していたドイツと交戦中のイギリスを救うため、日本から開戦させることで参戦の世論を作り、日本と戦争することで、ヨーロッパの戦争にも参戦できるようにすることでした。
「連合国は極東軍事裁判で、日本が侵略戦争を行ったことを歴史にとどめることによって、欧米列強による侵略を正当化し、日本に過去の罪悪の烙印を押すことが目的だった。」ラダピノト・パル判事
白色人種は、世界各国を植民地化し、資源、金、奴隷を支配していました。日本は有色人種として、日露戦争や満州事変により、この構図を壊してしまい、さらに支配されていた有色人種に勇気を与えてしまいました。白人支配維持のために、日本を叩いて、極東軍事裁判で罪悪感を植え付けたうえで非軍備化して白人社会に逆らえないようにすることが目的だったのかも知れません。