2014年6月18日水曜日

381.「歴史の中の『新約聖書』」 加藤 隆

イエスとその12人の弟子達は、「書かれたもの」を残しませんでした。

その理由の一つには、ユダヤ教以外に「新しい掟」を作るという発想がなかったからです。


イエスの十字架後、直接教えを受けた12使徒は、「他の人は、もうイエスの直弟子になれない」という特権を活かして、自分に都合よくアレンジしたイエスの話を口頭で伝えました。

この主流派(エルサレム)と対立したヘレニストは、12使徒に対抗するために4つの福音書を作りました。「書かれたもの」に権威が生じれば、12使徒の権威が弱まるからです。

主流派はアラム語を話しますが、ヘレニストはギリシア語圏からエルサレムへ移住して来たため、ギリシア語を話します。そのため、新約聖書は全てギリシア語で書かれているのです。

後に、キリスト教の異端「マルキオン派」は、教会を持たないにも関わらず、大きな勢力を持ちました。その鍵が「マルキオンの聖書」という「ルカの福音書」と限定され、変更された「パウロ書簡」でした。

このことに学んだ主流派は、2世紀からキリスト教独自の聖書である「新約聖書」を作成し初め、4~5世紀にかけて確立したのでした。

つまり、

  1. 聖書があってキリスト教ができたのではなく、様々な意図により作られ権威化したこと、
  2. 全てギリシア語で書かれたことから、ローマ帝国の支配構造の中で重要な機能を果たていたこと

が分かりました。