2013年12月19日木曜日

199.「魂の昭和史―震えるような共感、それが歴史だ」 福田 和也

僕が考えていた昭和史とは、かなり異なっていました。

概して、日本人は昭和史に向き合うのが嫌いではないでしょうか。
それは、第2次世界大戦に対して何度も罪悪感を思い出すように強要されるように感じるからです。

多くの歴史観では、日本は中国、韓国等をはじめとするアジア各国を侵略し、真珠湾を不意打ちした挙句、なかなか降参しないので原爆を落とされ、やっと反省し降伏した。これまで、こう教えられたのではないでしょうか。

しかし、これは勝者側からの第2次世界大戦観かもしれません。そもそも日本の戦争当事者達は世界大戦を行ったという認識もなく、大東亜戦争というアジアでの局地戦を戦ったと思っていた可能性もあります。

本書では、日本は戦争に突入せざるを得なかったと位置づけられています。イギリスの産業革命、アメリカの大量生産による圧倒的な経済力と、それらを武器にした欧米の植民地化政策から日本を守るために、日本に地理的に近い朝鮮や満州を、欧州に先駆け、防衛ラインとして占領しました。
それは決して正当化できることではないですが、当時の日本にはそうするより他に策がなかったのかもしれません。

自由な通商を認められず、ブロック経済から弾かれた日本は、かつて欧米から自分がやられ、かつ当時も欧米が行っていた方法を真似しました。
それは、経済や戦力に劣る国に強引に乗り込み、不平等条約を結んで、その国の資源を強奪するという手口です。やられた方はたまったものではありませんが、やる立場に立つとあまり罪悪感がなかったのかもしれません。

しかし、米国はこの成金国日本を快く思わなかった。これまで自分達が築いてきた既得権に参入する新参者は気に食わなかった。

そのため、調子に乗った日本を叩き潰して自分達の言うことを聞くように憲法を作って、軍隊を解体して無防備にし、食習慣なども米国風に変えて、米国へ依存しなければ国家として存立できないようにしたという考え方も、この本から導き出せます。