毎回、鈍い衝撃を受ける著者の作品ですが、本作も読後に後を引きます。
いくつかの短編を組合せて1つの長編を創るのが「ふがいない僕は空を見た」以来の著者の作風です。本書も6つの短編を3人の登場人物の立場から2周紡ぐことで3つの観点から1うの物語を見せています。
「いんらんおんな」が本書の1つのキーワードです。妊娠するために必然となる性欲が赤裸々に語られ、その性欲が他人からはどう見られるのかが描かれます。
女性の本能ゆえに、相手とセックスに心の平安を求めるみひろ。
セックスを仕事としたために、人間の精神性に心の平安を求める京子。
2人は似ていないようですが、本質は同じようにも感じました。
圭佑の父の浮気相手だったマリアは、イエスの母をモチーフにしているように思えました。
「誰にも遠慮はいらないの。どんな小さなことでも、幸せが逃げてしまうよ。」
との彼女の言葉は、「はじめに言葉ありき」を下地にしているようです。
「いんらんじゃない女なんていないんだけどね。」
マリアは、娘を妊娠する前に、たくさんの男と付き合っていたと語ります。
子供を産むために男性を求める女性の本能を、建前に縛られる他人は、「いんらん」と呼ぶのかもしれません。