2015年4月17日金曜日

621.「1964年の東京オリンピック開催を情熱で実現した人 フレッド和田勇」松岡 節、 さかい しん

和田勇さんは、1907年にアメリカで生まれました。12歳からシアトルの農場で働き、20歳で自分の青果店を3店経営するほど成功します。

しかし、34歳の時、日米が開戦し、和田さんは強制収容所に収容されて荒野を耕すことになります。

終戦後は、ロサンゼルスに移り住み生活も安定していきました。全米水泳選手権に参加する日本選手団の宿泊先がなかったため、和田さんは自宅を提供して援助もしました。日本人選手は、その大会で大活躍し、「フジヤマのトビウオ」と賞賛されました。

全米水泳選手権から10年後、東京都知事と総理大臣からオリンピックの東京への招致について協力を要請されます。全米水泳選手権の日本人選手の活躍で日本人が勇気づけられたのを知った和田さんは、東京オリンピックで日本を元気づけようと要請に応じます。

和田さんは、自費でメキシコ、パナマなど中南米9カ国のオリンピック委員会を歴訪し、招致をアピールしました。そして、ミュンヘンでの国際オリンピック委員会の総会にも参加し、東京オリンピック開催の決定を聞くことになりました。

和田さんの尽力もあり、1964年にアジアで初のオリンピックが終戦から17年しか経っていない敗戦国の日本で開かれました。

オリンピックが戦後日本の復興に与えた影響は非常に大きいと思います。市井の人の私利を顧みない奉仕の姿に胸を打たれました。