2016年7月6日水曜日

960.「よみがえる 松岡洋右」 福井 雄三

松岡洋右といえば、国際連盟で椅子を蹴って退場し、国際連盟を脱退した、傲岸不遜の外交官というイメージがあります。

しかし、本書で明かされる松岡洋右は、このイメージと全く異なる、外国語に堪能で、交渉力に長け、国際感覚に優れた有能な人物として描かれています。

では、なぜ、こういった松岡像が定着したのかといえば、松岡は「極東軍事裁判」の途中で病死し、死人に口なしとばかり、「すべての罪を松岡に」とスケープ・ゴートにされたそうです。

松岡は、近衛文麿から首相就任の密約を得て、日米戦争の回避などの交渉を進めたものの、何度も無節操、無定見の近衛に裏切られ、最後には近衛の遺書で戦争責任を擦り付けられてしまいました。

松岡は、南進論に反対し、北進論を主張していましたが、確かに北進論であれば、米国と戦争することなく、ソ連を制圧して中国との紛争も終結できたと思います。

近衛でなく松岡が首相だったら、日本の現在は大きく異なっていたものと思いました。