2013年9月27日金曜日

135.「さいごの色街 飛田 」 井上 理津子

「飛田」という地名と、そこがどういう所かは知っていましたが、
その実態や歴史は知りませんでした。

難波新地乙部遊廓が全焼した後、1916年(大正5年)に
当時畑しかない飛田に遊郭が移転されました。
1958年の売春防止法の施行から遊郭として存続できなくなり、
現在のアルバイト料亭スタイルに転換し、現在まで生き延びています。

アルバイト料亭スタイルとは、料亭でアルバイトしている素人が
部屋でお客さんとビールを飲むうちに、”急に恋愛感情に陥った”
というスタイルです。
おおっぴらにできないため、公式ホームページや料亭のホームページは
ないそうです(2011年当時)。

料亭の数は158件、女の子の数は推定450人、
おばちゃん(曳き子)の数は推定200人です。
料理組合の顧問弁護士は、現在もそうかわかりませんが、
元大阪府知事で現大阪市長の橋下徹さんです。
隠したい過去かも知れません。

女の子の多くは、男に騙され、捨てられ、お金のために
飛田に来ているとのこと。
飛田から抜け出せないのは、パチンコか男のどちらかに溺れ、
どっちもヤミ金にハマってしまうかららしいです。

親の十分な保護を受けて育っておらず、中卒や高校中退率が高い。
また、これまでの生活史の中で、経済的な苦労をしない時がなかった
とのことで、貧困の連鎖から抜けだせず、飛田でしか生きられない
女の子がこれほど多いことが切なかったです。