2014年2月5日水曜日

243.「まともな日本再生会議:グローバリズムの虚妄を撃つ」 中野剛志、柴山桂太、 施光恒

「MBA留学した日本人は、英語もたどたどしく、プレゼンもできないからいじめられる。苦労して卒業し日本に帰ってくると日本で英語の苦労をしていない人たちをバカにしたくなる。しかし、この話はアメリカの経済学という狭い領域の話なのに、経済、教育、文化の面まで押しつけようとする。」
この指摘は的を得ていると思います。その結果、何でも欧米のやり方に追随するという姿勢を産んでしまいます。

「われわれにとって英語というのは奴隷の言葉なんだ。英語が使えるということは、奴隷として使えるということに過ぎない。」
「ビジネスができる上で英語ができた方がいいんじゃないですか。」
「ビジネスよりも文化、誇りが大事なんだ。」
タンザニアの初代大統領 ニエレレ
「英語は奴隷の言葉」という発言は衝撃的です。確かに欧米のやり方を学ぶという点では、英語は不可欠な手段です。しかし、国の公用語自体を英語にしてしまうことは、欧米にとって便利な奴隷となってしまうことかもしれません。

新自由主義は、ケインズ以前の古典的な自由主義を現代に「新たに」よみがえらせようとする思想であり、運動です。市場の動き、特に競争を通じた価格メカニズムの動きに信頼を置く考え方です。
最近の日本は新自由主義推進の風潮が色濃くなって来ていますが、その弊害の方が大きいような気がします。

保守と革新。保守は旧習に囚われることで、革新は新しいやり方を取り入れること。単純にそう考えていました。しかし、保守とは、試されたことのないものより試されたものを採用すると考えると、より現実的かつ確実に効果を生むように思えます。

日本がこれまでやって来たことを全て否定し、外国のやり方を真似しようとすること。欧米が近代化して産業が先行していた明治時代には有効な方法でした。
しかし、欧米が経済的に低迷し苦しんでいる現代においては、日本が成功してきた方法を検証し、日本独自の成功パターンを見直して磨き上げることの方が有効であるように思いました。
(青字部分は本書からの引用)