2016年5月19日木曜日

926.「なぜ中国人はこんなに残酷になれるのか -中国大虐殺史-」 石平 ビジネス社

ありもしない南京大虐殺を言い立てる共産党ですが、共産党自身が虐殺した人数は、20万人どころではありません。

「殺人から政権を起こし、殺人によって政権を固めてきた」のが、毛沢東共産党の実態です。

政権を樹立したプロセスは、現在、ISがやっていることと同じ。違いは、コミンテルンという後ろ盾があっただけです。

1921年 紅軍大粛清 1万人
1930年 AB団粛清 7万人
1946年 長春市民虐殺 33万人
1949年 土地改革運動 200万人
1951年 鎮反運動 71万人
1955年 粛反運動 8万人
1958年 大躍進運動 2000万人-4000万人
1966年 文化大革命 数百万人
1989年 天安門事件 数千人(有力説)

「農村社会には、正業につかずさまざまな悪事を企むことで食べていく「遊民」の層が常に存在している。こういう人々は普段なら社会から排斥される立場にあるが、天下大乱の時になると、往々にして反乱を起こす主力軍として活躍の舞台を得る。
したがって、王朝交代のたびに起きた「農民蜂起」や「農民反乱」の多くは、けっして一般農民が主体ではなく、「遊民」中核とする反乱である。」
王学泰 「遊民文化と中国社会」

この「遊民」という観点から中国の歴史を見ると、非常に納得が行きます。毛沢東たちの革命も「遊民反乱」で、それまでの主流社会に対する恨みと報復心から生まれる、極端な残忍さと暴虐さを有していたと言います。

ただ、毛沢東たちはレーニン主義的「暴力革命」の理論から暴虐と殺戮の大義名分を得ていたという解釈は得心が行きます。

現代では、民主主義国家を装う中国ですが、本質は「暴力装置」です。それは、「天安門事件」で証明されています。

現在でも、現体制に反対する「遊民」が存在しているかもしれません。そうすると、「農民反乱」が起こる可能性はあるかもしれません。