2017年7月28日金曜日

1204.「知の湧水」 渡部昇一

戦争体験や深い学習から得た見識は、明快で論拠がしっかりしています。その見識からしても、「もう何をやってあげてもコリアには無駄だ」という結論に到ってしまいました。

そして、日本人の反韓感情・侮韓感情がこれ以上高まらないように、国家として韓国との取引をやめるようにとまで明言しています。日本は韓国と「水の如く淡々とした関係」にすべきであるといいますが、これは何も特別なことではなく、江戸時代に近い関係だそうです。

2017年の安保法案に対して、デモのやり方が非常に韓国風になったとも指摘しています。首相の肖像画を使って侮辱するということは六十年安保の時はなかったようです。確かに日本人らしくないデモでした。

安保法案に反対していたのは主として共産党と民進党の人たちでした。両党とも設立経緯から現在に至るまで在日韓国人の影響が強い党であるため、デモや抗議のやり方まで韓国風になったのだろうとの指摘は腑に落ちました。

東京裁判そのものであったマッカーサーは、1951年にアメリカ上院軍事外交合同委員会で東京裁判を否定しています。
Their (Japanese people's) purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.(したがって、彼らが戦争に突入した目的は、主として安全保障のため、余儀なくされたものであった)
この発言だけでも、大東亜戦争が侵略戦争ではなかったことが立証されると思いました。

「がくもん」は老齢に、特に末期高齢者になった時に力を示すのではないだろうかとのことです。秀吉と家康を例に引き、天才は老化とともに衰えるが、「がくもん」は、その老化を精神的に支えてくれるそうです。

凡人の私も、高齢者になった時、狂わないように「がくもん」して行きたいと思いました。